江戸前鮨が大好きなので、寿司の魅力を全力で語る

食べ物

さかなです。

自分のことを「さかな」と名乗っているくらいなので、僕はさかなが大好きで、食べるのも好き、見るのも好き、獲るのも突くのも釣るのも好き、飼うのも好き、捌くのも好き、趣味が高じて「フグ処理師」の資格まで取得してしまい、いつか絶対に漁船を買って漁業権をとって、漁師として生きていこうと思っているくらい魚が好きなんです。(ちなみに本家のサカナくんさんは神様と崇めるくらい尊敬してます)

そして、それだけ魚が好きだと、日本全国の港で魚料理を食べ、東西南北津々浦々に美味しいお寿司を求めて彷徨うようになり、そんな生活を20年も続けていると、やはり必然的に寿司に関する知識もついてきてしまうという訳で、つい先日も「普通の人たち」と言うと語弊があるのかもしれませんが、要は魚にそこまで情熱を燃やしていない方々とお寿司ランチをしていると、「普通の人って寿司のこと全然知らないんだな」と思ったりするわけです。

とはいえ、別に馬鹿にしているわけではありませんし、マウントを取るつもりもないですし、僕もプロではないので、そこまで詳しいと言うわけでもないですし、普通の人が寿司のことを知らないのは当たり前で、むしろ、魚の切り身を見て魚種を特定できる人の方が少ないと言う事実も理解できますし、僕だって逆に「美容」のこととか「ファッション」の話題には1ミリもついていけませんし、本当に「普通の人たち」って言うと語弊があるので他の表現を探したんですけど思いつかなかったので「普通の人」と言っちゃいますけど、とにかく、僕が大好きな寿司の魅力をもっともっと多くの人に伝えたい!と言う内なる声に従ってこちらの記事を今から書きますから、あなたに今、読んで欲しいと思うわけです。はい。

と言うわけで、今日はそんな寿司に関するお話です。

そもそも江戸前寿司ってなに?

僕がちょっとだけ寿司に詳しい人間だと知ると、多くの人はこのような質問をしてくださいます。

「江戸前寿司ってなんなの?」と言う質問です。

「鮨」って書いたり「寿司」って書いたりしますが、そこは別にそんなに重要ではないので無視してもいいと思います。個人的な理解としては、なんとなく「鮨」って書いてあるお店は「江戸前鮨」に忠実な店なんじゃないかな?と言う理解でいます。詳しいことは知りません。そこは重要ではないので、あまり深くは掘り下げません。

で、「江戸前寿司ってなんなの?」という質問ですが、実は江戸前寿司の定義というのもさまざまで、いろんなお店のいろんな大将がいろんな事を言うのですが、こちらも僕の理解を簡単に表現すると、「1800年代に生まれた新しい寿司の概念」が江戸前寿司だと思っています。

で、これもいろんな店のいろんな大将がいろんな事を言うのですが、1700年代は全く別の寿司だったものが、1800年代に江戸前寿司という新しい概念が生まれて、そこから「江戸前寿司超うまいじゃん!」という事で全国に爆発的に広がり、「今ではもうほぼ江戸前寿司しか存在していない」というのが僕の考えです。それが今だに「江戸前寿司」と言い続けているからややこしいのであって、今ではもう、職人が握った寿司=全て江戸前寿司という理解で問題ないと思います。

これはいろんな店のいろんな大将から話を聞いて、僕なりに寿司の歴史とか調べてみて、総合的に判断して、今はそういう結論に達しました。もしかしたら間違っているかもしれませんのでその時はすいません。なので、「江戸前寿司ってなに?」という質問に自分なりの回答をお答えするならば、現代においては、「回転寿司系」と「カウンター系」の2種類に大別した時に、いわゆる「カウンター系」と言われるお寿司屋さんが提供しているお寿司が江戸前寿司です。という答えになります。

「え?それって全部じゃん・・・。」って言われそうですが、そうなんです。カウンター系であればもう全て江戸前寿司と定義づけしていいと思います。はい。「回転寿司系」は江戸前寿司ではありません。もっと具体的にいえば、「人の手で握っていたら江戸前寿司」「人の手で握っていなければ江戸前寿司ではない」と言ってもいいかもしれません。職人が握ったものを回転レーンに乗せて運んで提供していても、それは江戸前寿司ですし、カウンターのお店でシャリ製造機でシャリを作って職人が切り身をシャリの上に乗せて提供したとしたら、それは江戸前寿司ではありません。

しかし、現実にはそんなチグハグなお店は存在していないので、単純にわかりやすく、回転系とカウンター系に分けて考えれば問題ないと思います。

なぜ、回転系とカウンター系に分けるのか?なぜそこが江戸前寿司とそうでないものの境界線となるのか?と言うことについては、後述しますので、全部読んでいただければ、全てご理解いただけると思います。なんだか回転系とかカウンター系と言うと、ゲームか何かの話をしているみたいですね。

江戸前寿司の魅力とは!?

それでは前置きも終わったのでいよいよ本題に入っていきます。

江戸前寿司の魅力を一言で言い表すことはできませんが、それでもなんとか頑張って表現するならば、「味の芸術」とでも言いましょうか、本当に美味しいお寿司というのは、食べた時に①認知②奥行き③広がり④余韻という経路をたどります。そこにネタごとの「色彩」が加わり、本当に完成されたお寿司には芸術性を感じることができます。

物理や文学の世界にはノーベル賞があったり、絵画にはコンクールなどがありますが、残念ながらお寿司の世界にはそういう芸術性を評価する基準というものが存在しません。なので、せいぜいミシュランとか、もっと酷いものになると僕みたいな「寿司好きおじさん」が勝手に口コミで評価する程度の評価基準しかありません。

しかし、寿司は立派な芸術です。なぜ料理人のことを職人と呼ぶのか?一つの道を極めると人々は必ず共通の場所にたどり着きます。壮大な宇宙というようなマクロの世界でも、量子力学というようなミクロの世界でも最終到達地点は同じです。全く関係がない分野でも、その分野の最終地点に到達した人たちは全く同じことを言います。

寿司職人も音楽家も画家も左官職人も数学者も棋士も極めれば同じ芸術です。まず認知があり、認知の先に奥行きを感じ、そこから広がりを感じ、余韻を残しながら収束し、最後には受け取った人の心が感じたままの〝何か〟を残す。それを寿司で表現するのが本物の寿司職人です。

なので、江戸前寿司の看板を掲げているお店でも、まだその領域に達していないお店や職人はたくさんいます。なんとなく看板や表向きはカッコいいけど、味の点数は40点とか酷い店もたくさんあります。それに、受け取る側にもある程度の〝器〟が必要です。

普段から食に関してこだわり、本物に触れる多くの機会を持つこと、自分の感受性を高める努力をすること、美しい自然に触れて涙すること、ストレスのない心身を保っていること。そうやって自分自身の器を磨いていかないと「味の芸術」を感じることはできません。

しかし、それは別段難しいことでもありません。自分を偽ることなく、自分に無理強いすることなく、自分が一番自然だと感じることができる生き方を実現していれば、それだけで十分にあなたの感性は育っていきます。寿司の芸術性を感じることができれば、それだけで結果的にあなたの人生の質は飛躍的に向上するのです。ね?寿司って素晴らしいでしょ?

美味しい寿司屋の見分け方

現代の寿司は回転系とカウンター系に分かれるとお伝えしましたが、こういう説明をすると、「じゃあ、本当に美味しいカウンターの江戸前寿司を食べてみたい!」とか、「どういうお店が美味しいの?」「どういうお店に行ったらいいの?」と言う質問をいただきます。

一応、さかななりの「美味しいお店の見分け方」みたいなものはあるのですが、とても再現性がないので参考になるかどうかはわかりませんが一応お伝えしておきます。

まず、この議題について僕が「語るに足るかどうか?」と言う問題がありますが、さかなは日本全国のいろんなお寿司屋さんを渡り歩いています。もう、100軒以上は行ったことあるんじゃないでしょうか。県外に行くたびに必ずその土地のお寿司屋さんに行くので、お寿司のメッカと言われる銀座(東京)、それから隠れメッカの小樽(北海道)、さらに隠れ隠れメッカの金沢(富山)、それから瀬戸内、玄界灘、五島列島、伊豆、もちろん、僕の地元である名古屋の目ぼしいお店、それから東京の予約困難と言われるようなお店にも行ったことがあります。

なので、多少は普通の人よりも寿司について研究してきた経験がありますので、さかなの立ち位置的には素人以上プロ未満といったところでしょうか?もちろん自分でも寿司を握ることがありますし、いろんなお店でいろんなお寿司を食べて、中には自分が握った方が全然美味しいと思うこともあります。なので、一応、自分のブログの中で偉そうに語るくらいの資格はあると考えています。

話を戻して、仮に「美味しいお寿司の店に行きたい」と思った時に、もうすでにそこに行くと言うお店が決まっていれば良いですが、大抵は県外とか、土地勘もなにも情報がない場合が多いはずです(地元なら美味しい店の情報などは手に入ると思いますので)。その時に、僕はミシュランの星付きとか、食べログの口コミとか、ネットで検索したりとか、世間の評価というものを一切参考にしません。唯一参考にするのは、「Googleマップの写真」だけです。なぜGoogleマップの写真だけを参考にするのかというと、美味しいお店は外観と料理の写真で8割判断できるからです。これマジです。嘘ではありません。

写真だけを見て、お店の外観を見て、店内の写真を見て、料理の写真を見て、オーラを感じ取り、良いオーラが出ていれば美味しい店、悪いオーラが出ていれば美味しくない店と判断できます。笑

「なんやねんそれ」と冷たいツッコミが入りそうなので、もうちょっと詳しく解説します。

何事も、訓練次第で精度を上げていくことができます。例えば、Googleマップでお店の写真だけを見て「このお店良さそう!」と感じるとします。最初はただの感ですし、ただの当てずっぽうなので思いっきり外します。「良いと思ったけど実際に行ってみたらハズレだったね(^^;;」なんてことは普通にあると思います。

しかし、それを20年続けてみてください。ネットの口コミや他人の評価で判断するのではなく、ただ写真のみでそのお店が自分にとって良い店なのか悪い店なのか判断するのです。そうすると、なんとなく目に見えないオーラが見えてくるようになるのです。目に見えないオーラなので言語化することはできませんが、本当に「なんとなく良い大将がいて、なんとなくいい女将さんがいて、なんとなく美味しそうな気がする」とかそういう直感レベルでいいんです。

そして実際に行ってみて答え合わせをしてみる。最初の方は精度が悪いので全然外します。でもそれを5年、10年、20年と続けるとどんどん精度が上がっていって、今では僕はお店の外観だけをみてほぼ外すことはなくなりました。外観だけでほとんど外しませんし、店内の写真や料理の写真を見ればまず間違いなく外しません。というのも、お店選びで失敗する・しない というのも自分の主観なので意外と話は単純なのです。

「自分にとって良い店かどうか?」が判断基準なので、だから的を得ているし外さないようになるし、他人の口コミの他人の評価を当てにしない理由はそこにあります。なぜなら、他人の感性と自分の感性は違うからです。

なので、僕は居酒屋に行く時なんかは「なるべく汚くて店主の態度が悪い店」というテーマでお店を探したりします。そうすると、例えばお店の外にゴミが積んであるとか、暖簾が汚いとか、看板の電気が暗いとか、外壁にヒビが入っているとか、そういうところに着目してみると、そんなお店の店内が綺麗に掃除されているわけがないとわかるので、実際に入ってみるとメニューは油でベタベタで店内は汚くて、店主もやる気がなくて、非常に自分にとっては居心地のいいお店だったりします。

例えば、たこ焼きは外がカリカリになっているタイプが自分は好みだ。という人がいるとします。そうしたらGoogleマップで「たこ焼」と検索して、料理の写真に「外カリ」っぽいたこ焼きが映っていればその時点で8割は外さないですよね?意外とそれだけのことなんです。

しかし、これをネット検索で「大阪 たこ焼き カリカリ」と検索してしまうと人気のお店とか、お金を払って口コミを書いていてもらっているお店とか、お金を払って星を買ってたりとか、テレビに出てバズってるだけとか、ちょっと大衆煽動的な要素が含まれてきてしまうので、外す確率が高くなります。それに、そういうことをやっている限り、自分の舌を満足させることなんてできないし、いつまで経っても他人の評価の上書きを続けることになります。

他人の味、他人の旅、他人の人生をなぞることになんの意味があるのか。自分の好みは自分で決めるべきだし、自分の舌は自分で育てていくものです。たとえ美味しくないハズレ店だったとしてもいいんです。その失敗経験が理想のお寿司に出会う一歩となり、本当に美味しいお寿司がどんなものかを教えてくれるからです。

これがさかなの美味しいお寿司屋さんの見つけ方です。再現性はありません。でも、Googleマップを開き、美味しそうだと思う店に行き、答え合わせをして、どんどんその精度を高めていけば、どの土地に行っても外さない美味しいお店を見つけられるようになります。是非、この方法を騙されたと思って実践してもらいたいものです。

では続いて、日本で一番美味しいお寿司屋さんがあるとするなら、それはどんなはお寿司屋さんなのか?なぜ寿司のメッカは銀座なのか?と言うことについて考えてみたいと思います。

なぜお寿司のメッカが銀座で、なぜ銀座のお寿司は〝超高級〟なのか?

ここで日本一美味しいお寿司屋さんの定義を決めることは難しいです。「美味しい」と言うのは人それぞれの感性なのでまず答えがないからです。少なくとも日本一売上があるとかそういうことではありません。

日本一売れているという物差しで定義付けしてしまうと、ラーメンの話と同じで、「日本一のラーメンはカップヌードルです!」ということになってしまいます。ですので、ここでは日本一売れているとかいう表現ではなく、あくまでさかな個人が考える美味しいお寿司とはどんなものなのか?という表現に留めます。

そして、それはもちろん江戸前寿司になりますし、回転系ではなくカウンター系になります。

「カウンターの江戸前寿司」と聞くと、「高級」とか「敷居が高い」と感じる方も多いかもしれません。僕も理由は割愛しますが、普段着が作業着なので、作業着でマトモなお寿司屋さんに入るのには少し抵抗があります。そして、やはり良いお店というのは高級店であることが多いです。

なぜなら、美味しいお寿司というのは、「これ以上美味しくすることができない努力」をしていることが最低条件になります。「これ以上美味しくすることができない努力」つまり、味に対して「一切妥協をしていない」ということになるので、その分、人件費や手間賃、仕入れ値、などにお金をかけています。だから美味しいお店のお寿司は高いし、高級感もあって作業着ではなかなか入りづらいんです。(それでも入るんですけど)

よく寿司好きの間で話題になる話があって、「銀座なんかは家賃も高いし、お客も金持ちが多いので、少々ぼったくり価格だよね」という話です。銀座では普通に席に座るだけでおまかせ3万円〜、少しワインや日本酒なんかを頼むと10万円なんか軽く超えてしまう金額になります。仮に、金沢で同じレベルのお寿司を食べても半額以下だよね。という話です。

しかし、地方のお寿司屋さんは地物を多く扱う傾向にあり、逆に言えばその土地ならではの食材しか扱っていません。魚業界では有名な話ですが、日本中の美味しい食材は東京の市場に全て集まるようになっています。だから、北海道の美味しいムラサキウニが食べたければ、北海道に行くのではなく、東京に行った方がいいのです。ウニのランクがSランク、Aランク、Bランクと存在していたとすれば、Sランクは東京に出荷され、北海道にはAランクとBランクしか残っていません。

もちろん、厳密にはそんなことはなく、Sランクのウニも北海道で食べることはできるかもしれません。しかし、ウニ漁師の立場から考えてみると、東京は高値でウニを買い取ってくれるので、わざわざ地元のためにSランクのウニを残しておく理由がないのです。

10個のSランクのウニがあったとしたら、10個8000円で買っていく地元よりも10個12000円で買ってくれる東京に売ったほうが儲かるのです(ウニは剥き身売りなので1個いくらという計算はしません。あくまで例えです)。だから、儲かるために全国の漁協はできるだけ東京に良いものを沢山売りたいと考えているんです。

でも、地元の古くからの付き合いがあるお店のためにちょっとだけSランクのウニを残していることがあります。いわゆるお金ではない部分での「付き合い」というやつですね。

では、そのような貴重なウニをそのお店はどんなお客に出すか?それは常連客のために隠しているんです。まず、普通の客には出しません。だから、旅行者が北海道に行って、「Sランクのウニください!」と言っても「わかりました」と言って出てくるのはAランク以下のウニになってしまいます。

そういうSランクの食材は、特別なコネがあるとか、常連客に連れて行ってもらうとかしない限りは食べることができないと考えてください。これが今の日本の水産業界です。全国で同じことが言えます。魚市場というのは基本的に良いものは全て東京に集まるようになっていますので、銀座のお寿司屋さんにいけば、全国のその時の本当に美味しい食材をまとめて一気にコース料理として味わうことができるというわけです。

これは、地方のお寿司屋さんでは絶対にできません。なぜなら、地方の市場には地方の食材しか並んでいないからです。欲しくても仕入れ先がなくて手に入らないと言うわけです。だから東京の豊洲市場に近いお寿司屋さんでしか実現できません。だから東京のお寿司は高いんです。でも高いだけじゃなくちゃんとそのような理由があるのです。

つまり、富山の白エビ、宮崎のアラ、愛知のトラフグ、大島の縞鯵、北海道の八角、明石の真鯛、東京湾のアナゴ、普通はこれらをその土地に行かないと味わえませんが、東京なら1回の食事で全部味わうことができる可能性があるのです。(時期的に手に入らないものはあります)

そう考えてみると、移動費とかコスパを計算すると銀座のお寿司屋さんは言うほど高くないということが理解できるかと思います。もちろん、一回の食事にかける金額としてはバカクソ高いですが、魚市場のことを知っている人間からすれば、〝こんなに全国の良いとこ取りができて、あれもこれも信じられないほどのSランク極上食材ばかりがこんな値段で味わえるなんてお得やんけ!〟と感じてしまうんです。

食材の価値がわかっている人間にとっては3万円を支払う価値があります。10貫のおまかせなら1貫3000円です。半端な金額ではありません。それでもその食材が自分の口に運ばれるまでの間に、どれだけ多くの水産関係者の努力で成り立っているかよく知っているので決して高くはありません。

言い方は悪いですが、寿司のことをまるでわかっていないそこら辺の成金がよく銀座のお寿司屋さんに行きますが、おそらく奴らには銀座の寿司の価値などわからないと思います。「銀座の寿司はうまい」くらいにしか思っていないでしょう。やはり、器がない人間には寿司の芸術など理解できないのです。

さかなが日本一美味しいと思うお寿司を提供する寿司屋さんとはどんなお店?

ちょっと残念なお話をします。いわゆる、偽物のお寿司屋さんと本物のお寿司屋さんの話です。

先ほども少しお伝えしましたが、本当に美味しいお寿司の条件というものがあります。それは、「これ以上美味しくすることができない状態」になっているかどうか?つまり、味に対して「一切妥協をしていない状態」ができているかどうか?という点です。

さて、あなたは「これ以上美味しくすることができない状態」というものがどういうものかわかりますか?

その答えを順番に説明していくと、

1、市場での仕入れ(目利き)
2、魚を捌くまでの取り扱い(血抜き熟成)
3、魚を捌いてからの取り扱い(仕事)
4、シャリ切り
5、握り
(※各配点20点の100点満点と計算)

というように、寿司の味を決める要素として、大きく分けて五段階の要素があります。そのすべてが「足し算」で成り立っており、仮にそのどれかが0だとすると、一気に何かが大きく欠けてしまったような、全く美味しくない寿司が出来上がります。

残念なお話というのはこのことで、この単純な足し算がろくにできていない寿司屋が多く、そういう寿司を食べるたびに残念な気持ちになるとともに、その残念な寿司を食べるために支払ったお金とのバランスが取れていないと感じてしまうからなんです。

逆に言えば、この美味しいお寿司を提供するための五段階のステップですべて満点を叩き出しているお店がいいお店であり、それを実現している職人さんが本物の職人さんで、100点満点を達成した上でそこに芸術点が加算されます。ハッキリ言って、100点満点の寿司を握れる職人さんはごくごく僅かです。自分の体感では、トップ1%くらいだと思っています。つまり、寿司職人が100人いたら、99人は満点を取れません。これが自分が求める美味しいお寿司の定義です。(偉そうにすんません)

なので、銀座の職人さんはほとんど皆さん100点に近い点数を当たり前に取られるので、文句なく3万円を喜んでお支払いするのですが、中途半端なお店で40点のお寿司を出されると仮に銀座の半額の15,000円だったとしても損した気分になるのです。それも、そこそこの有名店で、そこそこの立地で、そこそこいい内装で、いかにも高級でっせ!というところに限って平気で40点50点の寿司を出してくるので騙されてはいけません。そんなものをありがたがって食べるのは味の分からないそこらの成金だけで十分です。分かっていない者同士で勝手にやってろという感じです。

お寿司をこれ以上美味しくすることができない5つのポイント

それでは、

「これ以上美味しくすることができない状態」
「味に対して一切妥協をしていない状態」

というものがどんなものなのか順番に解説していきます。

1、仕入れ(目利き)

普通の人はあまり知らないかもしれませんが、実は、魚にも個体差というものがあり、同じ時期の同じ産地の同じ群れの中の魚でもその味は全然違います。これは僕自身が釣りをしているからよく知っています。その産地だから必ずしも美味しいということはありません。単純にその産地では「美味しい個体が多くて美味しい確率が高い」というだけであって、同じ群れの中でも間違いなく優劣は存在しています。

そのような優劣を、我々の業界では「ポテンシャル」と表現します。つまり、魚の目利きとはいかに美味しい個体を見つけ出すか?いかにポテンシャルの高い魚を買い付けてくるか?ということが大きなポイントになってきます。

それには、市場の仲卸が言うことを信じてはいけません。先ほどの精度の話と重なりますが、自分の目で見て、自分で選んで、自分で食べてみて、自分でポテンシャルの高い魚を見分けられるようにならなくてはなりません。よく、「一人前の寿司を握れるようになるためには10年の修行が必要」と言われます。その言葉は半分正しく、半分は間違っています。なぜなら、その「一人前の寿司を握る」という言葉の中には、単純に握る作業だけではなく、こういった「目利きの技術」というものも含まれていると解釈するべきだからです。

詳しい目利きの方法は割愛しますが、ここでもし、15点の魚を選んでしまったとすれば、もうその時点で総合100点満点を取ることができなくなります。考えてみれば当たり前の話ですが、寿司の味を決める大きな要因であるスシネタ(本当はタネと言います)の選定ミスはそのまま味の完成度に大きく影響します。食べた時に、「あれ?なんか脂のノリが少ない…?」と感じてしまいます。普通の人の舌は誤魔化せても、ガチの魚マニアの舌は誤魔化せません。ましてや、僕なんか美味しい魚が食べたいので、自分の船で獲物を釣りに行って、船の上で「沖締め」という作業をして、なるべく魚のポテンシャルを低下させないように最大限の努力と細心の注意を払って持って帰ってきます。そういうことをやっている人間の舌は絶対に誤魔化せません。1発でわかります。太刀魚なら太刀魚の最大ポテンシャルの味を知ってしまっているので、その味に劣る寿司を食べてしまうとすぐにわかるのです。〝あの感動に遠く及ばない…!〟と感じてしまうのです。

仕入れで20点満点の魚を仕入れてくること。美味しい寿司には絶対に欠かすことができない技術です。

2、魚を捌くまでの取り扱い(血抜き熟成)

普通の人は魚のことを勘違いしています。「朝獲れ鮮度抜群」は美味しくありません。最新の魚業界の常識は、魚のポテンシャルに合わせた「長期熟成」です。まるでステーキ肉のように1週間とか平気で寝かせるんです。その方が魚の中のイノシン酸というアミノ酸旨み成分が増幅して美味しくなるんです。

なので、市場でポテンシャルの高い魚を仕入れてきたら、今度はその魚を直ちに血抜きし、適切な処理を施して冷蔵庫で熟成させます。もちろん、魚種によってはそんなに熟成させない方が美味しいものもありますが、コハダやイワシなどの小さな光り物以外はすべて長期熟成できますし、その方が味も美味しくなります。サバでもアジでも少し寝かせた方が美味しいです。

適切な処理をきちんと施せば、鮮度はそのままに、旨み成分だけを凝縮することができるので、熟成技術がモノを言います。少しでも処理を間違えると熟成のつもりがそのまま腐ってしまったり、血抜きが不完全で血生臭い嫌味な魚になってしまいます。

しかも、この技術を正しく扱える職人さんは今のところはほとんどいません。僕の中ではここの点数がかなり低い店が多い印象です。でも銀座の職人さんやトップクラスの職人さんは市場からも仕入れてますが、ちゃんとそういう長期熟成専門の魚屋さんなどから直接仕入れていたりして、熟成寿司の理解はかなり深まってきたし寿司業界に浸透してきたと思います。それでもまだまだ鮮度抜群を売りにして、水槽から生きた魚を取り出してくるお店も少なくないですが・・・。

いわゆる、これが最悪なパターンで、市場で締めて来ずにお店でヒラメなどを水槽で泳がせて締めている店もあります。ヒラメなどは生命力が強いし、酸素の消費量が少ないので、結構生かした状態で市場に並んでいることがあります。しかし、先ほどのポテンシャル理論で言えば、生かしたところでそれはただ魚にストレスを与え、ポテンシャルをどんどん下げて味を不味くしていっているだけなので意味がありません。というかマイナスでしかありません。マグロだろうがヒラメだろうが、釣れた瞬間に即刻沖締めをして血抜きをして、過度なストレスを与えることなく、直ちに氷で冷やすことが適切な熟成措置というわけです。それがわかっていない職人があまりにも多いので残念です。

仮に20点満点のヒラメが釣れたとして、そのまま沖締めすれば20点満点のまま持ち帰ることができます。しかし、活かしで持って帰ってくると、狭い水槽でのストレスや無駄な泳ぎや暴れたりして1時間毎に1点ずつ点数がマイナスされていき、お店に到着した時点で10時間経過していればそれだけで10点のヒラメになってしまいます。さらにそこから24時間水槽で泳がせたりすればもうそれだけで0点の取り扱いです。

魚を捌くまでの取り扱い知識、スキルがあるかどうか?ということも美味しいお寿司を握る上で非常に重要なことです。

3、魚を捌いてからの取り扱い(仕事)

江戸前寿司というのは、「仕事」をします。江戸前鮨の本質とは何か?ということを考えた時に、その歴史を遡ってみるとわかりやすいです。

江戸前鮨というのはかつての「江戸」で考案された「魚介や酢飯を使った料理」ということは知っている人も多いと思いますが、しかし、それだけでは本質に辿り着くことはできないのでもう少し「なぜ?」という部分を掘り下げてリサーチしてみる必要があります。

例えば、当時は冷凍冷蔵技術がなかったので、「低温保存という概念がなかった」という時代背景も本質に辿り着く上で重要な情報となります。冷蔵保存ができなかったので、江戸の職人たちは「仕事」をすることで、魚介類を保存する手法を編み出しました。

それは例えば、酢で〆たり、一夜干しにしたり、漬けにしたり、煮たり焼いたり、様々な「仕事」をネタに仕込むことで保存を可能にし、さらにネタの持つ本来の旨みを引き出し、飛躍的に寿司の味を向上させることができました。その技法が瞬く間に全国に広がり、現在の寿司の形が出来上がったわけですが、つまり、「江戸前寿司」とは、冷蔵技術がなかったが故に生まれた「仕事」に本質がある。という仮説がなんとなく浮かんでくるかと思います。

では仮に、関西寿司はどうかというと、関西では新鮮なネタは新鮮なうちに食すものであり、あまり「仕事」ということをしない寿司文化がありました。現代においてはその文脈は無くなってきていて、関西でも江戸前寿司を出す店が多いと思います。つまり、先ほどの江戸前寿司の定義で言えば、「仕事」をして職人が握って出すカウンターの店が多いということです。

1700年代に唯一、関西寿司で「仕事」をしていた寿司に「鯖寿司」が挙げられます。

今の若狭湾(福井)で獲れたサバを酢と塩で〆て押し寿司にしたものが鯖寿司の原型であり、かつての都であった京都までサバを腐らせることなく届けていたという歴史が関西寿司にはあります。その鯖寿司を届けるために使っていた道は「鯖街道」と呼ばれ、現代でも昔ながらの手法で「本物の鯖寿司」が作られているので興味ある方は是非食べに行ってみるといいと思います。めちゃくちゃ旨いです。アレこそマジで芸術です。

『鯖街道の鯖寿司』

話が少し逸れましたが、江戸前寿司の本質とは「仕事」であり、それが冷凍冷蔵技術が進歩した現代でも受け継がれています。現代ではもう低温保存が可能なので、別に「仕事」をしなくてもすぐにネタが腐ったりはしませんが、「仕事」をすることで副産物的に生まれた「味が良くなる」という一点において「江戸前寿司」は「江戸前寿司」たり得るということがあるのです。

例えばコハダという魚がいます。このコハダという魚は非常にクセのある魚で、よく「煮ても焼いても美味くない」と言われる魚で、当然刺身でも美味くないです。しかし、3枚に卸して塩で余分な水分と臭みを抜き、そこから酢で〆て丹念に「仕事」をしてやると、同じ魚だとは到底思えないほどに大化けする魚なんです。

江戸前寿司ではコハダを提供する職人が多いです。それはなぜかというと、コハダこそ江戸前鮨を象徴するスシダネであるし、コハダをいかに美味しく仕上げるか?ということが江戸前職人にとっての腕の見せ所でもあるからです。

足が早く(腐るのが早い)、煮ても焼いても美味しくない魚が、「仕事」をして寿司になると、タイやヒラメにも負けない超一級のネタになります。タイやヒラメは同じような白身魚と同じような味ですし、カンパチもヒラマサも大して違いはないです。

しかし、コハダだけはコハダなんです。

煮ても焼いても美味しくない、腐るのも早い、獲れても捨てられていただけの雑魚が、江戸前の職人の仕事で生まれ変わり、人々を魅了してやまない存在になりました。そこに僕は江戸前寿司の魂と本質を感じます。

美味しいお寿司には、捌いてからの取り扱い(仕事)が非常に重要で、特にコハダを美味しく仕立てることができるかどうか?ここが一流の職人とそうでない職人の分かれ道だと思っています。

ぜひ、江戸前寿司のお店に行ったらコハダを味わってみてください。時期によってはそもそも無かったり味が微妙だったりするかもしれませんが、冬場は脂が乗って絶品です。

4、シャリ切り

「シャリ切り」という作業があります。シャリを作る工程の話なのですが、実は、「寿司の味を決める上で最も重要なポイント」と言われているのがこのシャリ切りです。

まず、シャリを作る上で重要なことは当然ながら「米の選定」です。詳しい選定方法は割愛しますが、シャリに適したお米というものがあり、そのシャリに適したお米をきちんと目利きして仕入れられるかどうか?ということがまず一つのポイント、当然、ひび割れや欠けていたり、粒の大きさが不均一なものは避けます。

そして、シャリに適したお米の水分量を見極めて、適切な水分量で炊き上げることができるかどうか?ということがもう一つのポイントです。というのも、僕の実家は農家もやっていて、よく子供の頃は稲作を手伝わされたのですが、米の水分量というのは一年中変化するものなのです。

例えば、収穫したばかりの本当の新米だと米が保有している水分量がかなり多く、普通に炊飯器の目盛でご飯を炊くとお粥みたいに水っぽいご飯が炊けてしまいます。酢飯であるシャリを作る上で水分量というのは非常に重要で、わずかな水分調整が狂っただけで水っぽく、さらには粘りのあるシャリになってしまって寿司を握ろうと思ってもシャリが手に引っ付いて握れないし、口触りも悪くなり、ネタとの調和も取れなくなります。ただ炊飯器に書かれている水の量で炊くのではなく、お米が保有している水分量の見極めをして、毎回水分量を調節して土鍋で炊くのです。これができないと点数は下がります。

そして最後に、酢と砂糖と塩を混ぜたものをご飯に混ぜてシャリを作るのですが、炊き上がった米粒を潰さないこと、かき混ぜすぎてご飯の表面に粘りを出さないこと、手早く素早く、冷める前に短時間でご飯と酢を混ぜてシャリを作ることが大切です。出来上がったシャリは保温器に入れ、人肌程度の温度を維持します。

よく、寿司は冷たいものと勘違いされている方がいますが、実は、本物のお寿司というものは温かいシャリを使用します。冷えてしまうと米粒に芯ができて、噛んだときに口の中でネタとシャリが融合しなくなってしまいます。シャリには温かいシャリを使用し、さらにずっと保温器に入れておくと今度は乾燥でどんどん米粒が固くなってしまいますので、一定時間が経過したシャリは使用しないようにして、またすぐに次のシャリ切りをするんです。たかがシャリと思われるかもしれませんが、寿司を握る上で最も重要な工程はシャリを作る工程です。米の選定と水分調節とシャリ切りです。ここが満点になっていないと美味しいお寿司とは絶対に言えません。

しかし、本当においしくないシャリを出す高級店もあるのです。ご飯粒が不揃いでベシャッとしていて、口触りが悪く、管理の行き届いていないシャリを出されると、どれだけ良いネタが乗っていたとしても全てが台無しです。

5、握り

そして最後の握りですが、実は、握りの時点でこれまでの点数が満点だと80点になっているわけです。ということは、素人が握って0点の握りをしたとしてもそこそこ食べれる味になっているということです。握りよりもシャリ切りの方が遥かに重要なので、シャリ切りが完璧であればあとはもうほぼ仕上がっているようなものです。

どんな物事でも「準備8割、仕上げ2割」と言いますが、寿司でもまさに同じことが言えます。シャリ切りの時点で準備8割が完成しているんです。あとは仕上げの2割が握りというわけです。

握りのポイントも詳しくは割愛しますが、やはりここでも調和が大切です。左手で撮ったネタの厚み、大きさ、重さから、右手のシャリの量を決めます。最近はシャリを小さく握るのが主流になりつつあるので、昔は15gほどで握っていたと言いますが、今は10g〜12gで握っている職人さんが多いと思います。なので、逆算的に考えるなら、12gのシャリに対して適切なネタの大きさを先にカットしておかなければならないということです。

ネタとシャリの重さの調和が取れていれば、あとは優しく空気を含ませるように握れば完成です。口に入れて噛んだときにネタとシャリが同時に消えていくのが理想です。なので、この瞬間のために、例えばイカを刻んで握ったり、マグロに隠し包丁を入れたりして仕事をするわけです。良いお寿司というのはネタとシャリが口の中で同時に消えていくものなのだと覚えておいてください。

たまに、高級店でもネタに対してシャリが多すぎたり、シャリに対してネタが大きすぎたり、やたらとわさびが多かったり、握りが固く空気の層がなかったり、調和が取れていない寿司を出してくる職人がいますが、きっと自分が握った寿司をしばらく食べていないのでしょう。長年寿司職人をやっていると、最初に習ったことを忘れて我流になり、それから気がつかないうちに全然調和が取れていない寿司を握っている人がよくいます。

シャリを強く握りすぎると口の中でシャリだけが残る、ネタが大きすぎると口の中でネタだけが残る、ネタの大きさが適切でもシャリより固かったりするとそれだけでネタだけが口の中に残る。何度も言いますが、シャリとネタが同時に消える握り方が本物の握り方です。

だから、回転寿司のシャリ製造機で作った固いシャリに魚の切り身を乗せたものは寿司ではないのです。回転寿司の寿司は箸で掴んだ瞬間にシャリとネタがバラけると思います。口に入れた瞬間にもうバラけていると思います。その時点で寿司の味わいではなくなっているというわけですね。

寿司職人の誇りである「詰め」

一人前に寿司が握れるようになるまでに10年かかると言われますが、では、10年修行して一人前になったらどうするのか?寿司職人の11年目の分かれ道として、独立するか?そのまま社員として続けるか?という選択肢があります。(実際にはちょうど10年ってことはないですが・・・)

やはり、本気で寿司職人をやっている人にとっては、「自分の店」を出すことは一つの大きな目標でもあります。そして、10年の修行を経て、一人前になったタイミングで自分のお店を出す人もいます。

いわゆる「独立」というやつですが、この時の独立の仕方にもいろいろあって、育ててくれたお店や親方と喧嘩別れのような感じで辞めてしまう人もいますし、「これからは一人で頑張れよ」と応援してもらって独立する人もいます。

別に、独立の仕方はどうでもいいのですが、問題は親方から「詰め」を預かっているかどうか?ということが一つのポイントになります。

「詰め」というのは、よくアナゴなんかの味付けで上にかけてある「タレ」のことです。あの甘辛いタレのことです。あれを業界では「つめ」というのですが、ちゃんと修行して、ちゃんと真面目にやってきた人には独立する時に親方から詰めを分けてもらえるんですね。

よく「秘伝のタレ!」とか「創業から50年のタレ!」という文句を聞いたことがあると思いますが、あのタレこそが職人としての誇りなんです。なぜかと言うと、「詰め」とは寿司職人としてのイロハを教えてもらった師匠から受け継ぐ味だからです。そして、その師匠もまた師匠から受け継いだ味なので、人間で言うところの「先祖代々」と言うやつです。

10年間の修行を経て、独立する時に師匠から「これからは一人で頑張れよ」と言って、卒業の証として受け継がれるのが「詰めの味」であり、北斗神拳じゃないですけど、いわば「正統継承者の証」みたいなものなんですね。

そう言うのってなんかエモいじゃないですか。笑

代々受け継がれる味なので、自分の代で店仕舞いして味を絶やしてしまったらご先祖様に申し訳ないからちょっと頑張るじゃないですか。そうやって自分以外のことのために頑張れる人が握るお寿司って旨いんですよ。

もちろん、師匠から譲ってもらった詰めでも、消費していけばなくなってしまうので、どんどん継ぎ足していくわけですが、最初は100%あった師匠の詰めも継ぎ足して50%になり、25%になり、1年もすればほとんど中身は99%以上が自分の味になってしまいます。

しかし、いくら継ぎ足しても決して100%になることはありません。必ず0.00n%は師匠の成分が残っているんです。「ほとんど残ってないじゃん」とか、そういうことではないんです。魂の問題なんです。

ほんの僅かでも師匠の成分が残っていると言うことは、師匠からその詰めを継承した証であり、それこそが寿司職人としての誇りとなります。

だから、親方と喧嘩別れのような形で独立した職人の寿司はあまり美味しくないことが多いです。寿司は芸術であり、芸術には人間観が大きく影響します。なので、師匠に感謝することができないとか、自分よがりであるとか、周りとうまく人間関係を築くことができないとか、周りの人から愛されない、応援されないとか、そういう人が握るから美味しくないのだと思います。

寿司屋の修行は厳しいものがあります。親方も厳しいです。どれだけ寒くても氷水に手を突っ込んで作業します。毎日酢飯を触っているので最初のうちは手荒れがひどいです。薄給だし、逃げ出したくなることもたくさんありますし、理不尽なことも多いです。

でも、それでも諦めずに真面目に自分の芯を貫くからこそ、運を味方にし、周りの人を味方にし、多くの人に支えられて独立する道が開けます。そういう独立の仕方をした人には「詰め」を分けてもらえるので、逆に言えば、師匠から「詰め」を分けてもらった人は良い人が多いんです。笑

良い人が心身健康で握った寿司は旨いんです。なぜなら一切の妥協をせずに仕事をしてくれるからです。だから正しい道を歩んでいる人のお寿司を食べるべきです。その見極めポイントが「詰め」というわけです。

で、詰めを使う場面なのですが、一般的に、寿司とか和食というのはだんだん味が濃くなっていくのが一般的です。なので、詰めはかなり味が濃い方なので、よく最後の方とか締めに出されることが多いです。

王道なのが煮アナゴですね。煮アナゴの握りの上に詰めをかけて提供されます。もし、どこかの江戸前寿司で煮アナゴを食べる機会がありましたらそこらへんのストーリーも背景に味わってもらいたいと思います。

今まではただの美味しいタレとしか思っていなかったものが、正統継承者の証として認識できるわけですから、味は変わらないかもしれませんがきっと満足度は上がるはずです。

手で食べるのか箸で食べるのか問題

よく聞かれる質問で、「そういうところのお寿司って手で食べないといけないの?」と聞かれることがあります。

結論から言ってしまうと、「手でもいいし、箸でもどちらでもいい」です。

個人的に、なぜそのような手箸問題が話題になるのかというと、それは醤油の付け方問題が大きく影響しているわけです。笑

今更ですが、お寿司の基礎をお伝えしておきます。醤油のつける場所は「ネタ」です。つまり、シャリではなく、その上に乗っているネタの方に醤油をつけます。なぜかと言うと、シャリに醤油をつけてしまうと、毛細管現象でシャリの米粒の隙間にどんどん醤油が入り込んでしまい、醤油辛くなってしまうと言うことと、最悪はせっかく握ったお寿司が醤油さしの中でシャリがバラバラになって醤油の海に米粒が溺れてしまうからです。

これはもう握った人からすると最悪です。だから、基礎中の基礎としてお伝えしておきます。醤油をつける部分はネタだけにつけるのが正解です。

で、そのような基礎があるとして、じゃあ、箸で掴んだときにネタにだけ醤油をつけるのって難しくね?って思う人がいるわけです。そうですよね?確かに難しいと思います。

手順としては、右利きであれば、まず出された寿司をコロンと左に倒し、サイドから寿司を箸で掴み、手首を捻ってネタだけに醤油をつけ、手首を戻して横向きで寿司を口に放り込みます。

この作業って、別に慣れている人だったら全然問題ないんですけど、その場でいきなり「寿司の基礎はネタだけに醤油をつけるんだよ!」って言われてもすぐにはできない所作だと思います。普通の人は「え?どうやるの?」って感じになっちゃうと思います。

しかし、その作業でも手だったら普通にできると思います。出された寿司を普通に掴んで手首を捻ってネタだけに醤油をつけて口に放り込む。これは手の方がやりやすいですよね。欠点としては、毎回手をおしぼりで拭かないといけないってことですが、まぁ別に毎回拭けば良いので拭けば良いですよね。笑

話を戻して、以上の理由から、手箸問題というのは醤油問題からきているわけであり、別に普通に箸でネタだけに醤油がつけられて、普通に食べられるのであれば箸でもいいし、それが難しい人は手で食べれば良いんじゃない?って僕は思います。

しかしですね、最近の江戸前寿司で、特に高級なそこそこ良い点数を出してくるような店だとまずほとんどは味がついてます。醤油もハケで塗ってから提供されるし、塩が振ってあったり、味つきで出されることがほとんどなので、手元に醤油皿すらない店も多いです。そうなるともはや手箸問題もさらにどちらでも良くなってきますよね。

さらにもう一つ、付け加えるとするなら、バランスの悪い寿司というのがあります。特に山盛りのウニとか、何かシャリの上に飾ってある系ですね。箸の使い方が下手くそだとそのまま崩れて取り返しのつかなくなる系ってあるんですけど、そういうのは手で行った方が無難だと思います。

僕も、普段は基本的に箸派なので、大概は箸で全部食べちゃうんですけど、そういうバランス悪い系が出てきた時は手で食べるようにしてますし、大将からも「手でお召し上がりください」とか言われることもあります。そういう時は、別に「お前、箸で食べるとか素人かよ」と言われているのではなく、バランス悪いから手の方が崩れなくて安全でっせと言われているだけなので勘違いしないように。

よく、なんちゃって野郎に「なんで手で食べないの?」とか聞かれたりするんですけど、マジでどっちでも良いですからね。個人的には箸の方が食べる仕草がスマートだと思うので、箸で食べますし、普段は奥様とお寿司屋さんに行くことが多いので、女性が箸で食べることに抵抗が生まれないように自分は箸で食べてます。完全に偏見で申し訳ないですが、キャバ嬢みたいな女性が手で食べてると「うわっ」と思って引いちゃいますし、その爪が長ければさらに「うわっ」って感じです。

別に誰がどう食べようがその人の勝手だと思いますが、個人的には女性は箸でスマートに食べてもいたいと思ってますし、一切の妥協をせずに握ってくれた人への最低限の礼儀として、箸の使い方はマスターしておいてほしいと思います。(シャリをこぼしたり潰したりしないってことね)

さらにもう一つ付け加えるとするなら、寿司はネタが下、シャリが上で食べるのが基本です。別に口の中で混ざってしまえば同じなのですが、最初にネタから舌に触れた方が美味しいと言われてますし、実際、寿司職人の人はそうやって食べる人が多いです。

箸だとどうしても構造上、寿司を横向きで口の中に入れることになるので、ネタ下で食べることができませんが、手で食べればネタ下で食べることができます。個人的にはマジでどうでもいいと思いますけどね。

以上が手箸問題の真相です。

高級寿司屋での作法とかあるのか?

ついでなので、こちらにも言及しておきましょう。高級寿司店で何かやらなくてはいけないこととか、やってはいけないこととかあるのかどうか?という話です。

これも個人的な主観の話になりますが、基本的にはまず予約をするのが一般的です。別に「飛び込み歓迎」っていう店なら良いと思いますが、良いお寿司屋さんは基本的には予約することが一般的です。予約をしておくことでカウンターに座れたりとか、カウンターに座ることで大将とコミュニケーション取れたり、好き嫌いを聞いてもらったり、いろいろメリットが生まれます。お店側からしても、予約が入っているというだけで仕入れ量が変わったり、席の状況が読みやすいので予約してくれることは嬉しいことです。

お店にとって嬉しい客になることが美味しいお寿司を食べる時の一つのポイントになりますので覚えておいてください。

続いて自分が意識していることは、ドリンクにお金をかけるということです。

これは好みもありますので、一概には言えませんが、例えば、僕は温かいお茶と一緒にお寿司を食べたいんですね。これが本心なんですけど、でも僕は必ずドリンクも一緒にオーダーします。なぜなら、そのドリンクオーダーも一つの良い客アピールになるからなんですね。

「お水でいいです」とか「お茶でいいです」とかじゃなくて、本当はお茶がいいんだけど、でも最初の一杯だけだけは例えばグラスビールとか、白ワインとか、スパークリングワインとか、何かしら売上に貢献できるものを頼みます。

僕はお酒がめっちゃ弱いので、一杯お酒を飲んだだけでもうヤバくなる時があるんですけど、それでもドリンクにはお金をかけるようにしてます。別にアルコールじゃなくてもホット緑茶とか、なんか売上になるものならなんでもいいんですが、とにかく「お水でいいです」とか「お茶でいいです」は個人的にやめた方がいいと思います。「ケチな客」とは思わないでしょうが、向こうも商売なので、お金を落としてくれる方が嬉しいに決まってます。

続いて、まずは「おまかせ」で頼むのが基本です。今はもう高級店であればほとんどのお店がおまかせでやってると思いますが、最初に好き嫌いを聞かれるので、本当にアレルギーとかダメなものがある場合はそれを伝えてもらって、アレルギーなどがなければ出されたものを素直に食べてみるといいと思います。

僕の奥様も好き嫌いが激しくて、以前はウニ、あん肝、カワハギの肝、たらの白子、白ミル貝などなど、「お前、それ失礼だろ!だったら寿司食いにくんな!」っていうレベルだったんですけど、いいから出されたものを素直に食ってみろ!と教育していたら全部食べれるようになりました。食べれるようになったどころか、今はもうウニが大好きでお店にウニが3種類あったら「全部出してください!」っていうくらいウニ好きになってしまいました。

嫌いなものも、アレルギーでなければ挑戦してみるといいと思います。そこらへんで食べるものとはわけがちがう「Sランク」のものが出てくるので、基本概念が書き変わると思います。

で、食べ方は先ほどもお伝えしたように、手でもいいし、箸でもいいし、自分で醤油をつけることはまずないと思いますが、仮に醤油皿が出されたらネタだけに醤油をつけるというのがルールです。

「ガリはどのタイミング?」ともよく聞かれますが、ガリは口の中のリセットなので、合間合間で適当につまめばいいですし、食べなくてもいいですし、めっちゃ食べておかわりしてもいいです。これも昔ながらの名残で、寿司にはわさびをつけますが、わさびとか、ガリとか、酢とか、大葉とかを一緒に食べることで、胃のなかで抗菌されるという意味合いがあります。全てがちゃんと理にかなっているんですね。

あと、檜のカウンターとかだと、もし汚した時にはすぐに拭いてほしいです。仮に醤油を一滴こぼしたとすると、そのこぼした瞬間に拭けばどうにかなりますが、一滴こぼしたまま放置していると醤油が檜のカウンターに染み込んでしまうかもしれません。

大抵はクリア塗装してあるので、シミができるということはありませんが、お店の人からすると結構気になると思います。一枚ものの檜カウンターなんて数百万円するので。

あと、作法というべきかどうか迷いますが、香水はマジで勘弁してほしいです。

香水だけは絶対にNGでお願いします。ほんのり香るくらいなら問題ないですが、隣のお客さんにまで匂いが届いてしまうレベルの香水はマジでダメです。一回だけすごい香水のキツいギャルみたいなのが隣にいて、本当に味がわからなくなるくらいキツかったので最悪の食事になりました。

途中から席を変えてもらいましたが、お店の人も迷惑だったと思います。しかも、大体は男連れなので、「香水が臭いから出てください」とか言ってつまみ出すと男が逆ギレとかしそうじゃないですか。あれは本当にダメですよ。

ということで、作法とか注意点は特にないと思います!それくらいです!

服装もあまりにも見窄らしい浮浪者みたいな服装とか、体臭がきついとか、そういうのはダメですけど、普通の安い服装でも全然問題ありません。僕も作業着でギリいけてますので普通の人なら大丈夫です!とにかく売上に貢献するいい客になりましょう!

終わりに

なんだか書きたいことを無心で書いていたらものすごい文章量になってしまいましたね。しかし、この記事を最初から最後まで読むだけでなんとなく美味しいお寿司がどんなものなのか理解できたのはないでしょうか?

実は、まだまだ語り尽くせないことがあるので、いつかまた書き足すことにします。「わさび」や「包丁」についてもまだ語っていないし、醤油と塩についてもたくさん語ることがありますし、江戸前寿司の代表的な寿司ネタなんかも紹介してないですよね。(特にたまご!)

ということで、それらは次回のお楽しみということで寿司について全力で語ってみました!ありがとうございました!

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